二学期がはじまる―葛尾小学校

余田大輝

ちょっと昔の想像のお話。

絵に描いたような入道雲が空に居座っている。洗濯物を外に干してきたから、雨が降らないことを祈るばかりだ。こんなに夏模様の空だというのに今日は涼しさが心地よい。やはり葛尾の夏は最高だ。車窓から見える空に、そんなことを考えながら、小学校までの道を運転する。夏休みは終わり。気合を入れ直して、今日からまた頑張ろう。

葛尾小学校に赴任して五か月。ようやく村での生活にも慣れてきた。街で生まれ育った私にとって、村での生活は何もかもが新鮮な体験だ。道を歩いているだけで、知らない人に話しかけられる。気づけば、お家でお茶をいただいて、両手に頂き物の野菜を持っている。平成の時代にそんな農村がまだ残っているとは驚きだ。何もいいことばかりではない。ちょっと夜遅くに出歩いていただけで村中を噂が駆け巡るようなところでもある。街中で生まれ育った私には少々息苦しいが、それもひっくるめて村らしさというものなのだろう。

「先生!おはようございます!」

赴任を機に中古で買った白い軽自動車を駐車場に止めて車から降りると、聞き覚えのある声が聞こえた。顔を向けると、そこにはバスから降りる私のクラスの生徒の姿があった。

「●●君、おはよう」

反射的にハキハキと笑顔で言葉を返し、自分が小学校の先生であることを自覚する。

「先生、今日は何時で学校おわり?」

真剣なまなざしで彼が私の顔を見つめる。

「今日は始業式だけだから十一時で終わりだよ」

そう答えると「よかった!」と満面の笑みを浮かべる。そんな彼を見て、絶対に顔には出さないが、私の心の中にも「午前終わりでよかった」という気持ちが生まれた。先生だって学期初めはスロースタートでいきたい。子どもたちはかわいいが、それでも仕事は仕事だ。

「●●君は学校終わったら何するの?」

あまりに嬉しそうな顔をするから気になって聞いてみた。

すると、「とっくん!」と一言だけ返ってくる。とっくん・・・ああ、特訓か。でも、なんの特訓だろう。特訓なんて難しい言葉どこで知ったのかな。まだ国語の授業では出ていないはずだけど。たしか「特」も「訓」も四年生で習う漢字のはずだ。三秒ほど脳内変換と思案を巡らせ、彼に問いかける。

「何の特訓をするの?」

「たたかいのとっくんだよ!ぼくもつよいヒーローになるんだ!」

自信に満ち溢れた顔でそう答える彼に屈託ひとつもなかった。きっと来年には同じ眼差しで「野球選手になる!」「お笑い芸人になる!」などと言うのだろう。あまりよく思わない先生もいるが、やはり子どもはそうでなくてはと私は思う。

「●●君は誰と戦うの?」

「おにいちゃんとおとうとだよ。いつもぼくがわるものやくだけど」

その答えに彼の夏休みが想像される。きっと日曜朝に戦隊ヒーローを見て、兄弟で戦隊ヒーローごっこをしていたのだろう。いつも悪役にされてしまうというのが何となく想像できて微笑ましい。たしかに歳の割に体格の良い彼は兄弟の中で敵役に一番向いているかもしれない

「そうなんだ。特訓がんばってね」

「今日は草のところでとっくんする!」

「草のところ?」

「うん。牛の草」

おそらく干し草を遊び道具にしているのだろう。自然豊かな農村だからできることだろうなと、街で生まれ育った子ども時代を少しだけ思い返す。ゲーム機が出てきた頃で、持っている友達の家に行って遊んでいたなあ。あれは中学校のときだったかな。まあ、いいや。

「夏休みの宿題は終わった?」

ふと宿題を忘れて怒られた自分の子ども時代を思い出し、彼にそう聞いてみる。

「・・・」

笑顔と自身に満ち溢れていた顔が一気に悲壮感に満たされる。

「提出は明日だから、今日帰ったら頑張るんだよ」

優しくそう言うと彼は「はい」といつもより小さな声で返事をした。きっと帰ったら、宿題のことは忘れて、真剣な眼差しで「とっくん」をするのだろう。明日、宿題を持ってこなかったら叱ってやろう。そう心に決めて、教室に向かう彼と別れて、職員室へと向かう。

職員室に入ると、みんな始業式の準備でバタバタしていた。私も放送機材の準備をしなければ。

さあ、今日から二学期が始まる。

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